2013年10月23日

ゼクシィ 手紙のセミナー 続けること

昨日、会社に戻ると大きな封筒が届いていた。
中に入っていたのはゼクシィ・・それも首都圏版。

載ると聞いていたけどこれか・・
探してみると「花嫁の手紙」という特集に、母が監修として載っている。
6ページ以上にわたる特集。

NCM_1682.JPG

花嫁の家族に宛てたやさしい手紙全部に
母のコメントがついていた。

手紙は私的なのも。
「いいも悪いもなく、心がこもった手紙はそれだけで素晴しい。
監修なんておこがましい」
と言ってた通り、全てのコメントは全肯定。
優しくその人や家族の素敵なところまとめていた。

よかった。母らしい。

母が今回のゼクシィに載ったのは、
もう8年以上つづけている「心を届ける手紙のセミナー」があったから。

出張先で急逝した父の残した手紙に支えられて
家事サービスの会社を起業して、地域に家族がともに過ごす時間を届けてきた。
事業が軌道に乗り出したとき、サービスを利用しない地域の人にも家族や大切な人とつながる何かができないかと考えた。
離れていても、たとえ一緒にいれなくても、誰もが大切な人ともっと心を通わすため、
自分も救われ支えられた「手紙」を書くことをすすめていこうと始めた。
それが「心を届ける手紙のセミナー」だった。

最初は事務所で。
事務所のガラスに「大切な人に手紙を書きませんか?」と張り紙をしてはじめた。

時には参加者1名で、マンツーマンというのもあった。
それでもやめずにつづけていくうちに、参加者の方からの依頼で
幼稚園などで呼ばれるようになった。

このセミナーは、手紙の書き方を教えるわけではなく、
参加者の手紙にまつわる思い出や母の経験を共有して、実際に手紙を書く体験型のセミナー。

2年前までは、一人1回しか参加できないと制限をかけていた。
それは、このセミナーはあくまできっかけで、一度書くことが出来ると
あとは自分で書きつづけてね、という背中を押すようなイメージだったらしい。

でも、ある人が言った。月に一度このセミナーに参加する日を手紙を書く日にしたい。
これまで全く書けなかったけど、このあたたかな気持で溢れた場所でなら書ける・・

その言葉を聞いてから、一人1回の制限を言わなくなった。
そこから、手紙の輪が大きく広がりはじめたような気がする。

企業での研修や、大きな郵便局の職員研修、
就業支援講座など公的機関での開催。大学や専門学校。
呼ばれる場が増えるとともに、確かに手紙を書く人が増えている。

自主開催のセミナーでは最近、特に40代50代以上の男性の参加が増えた。

仕事でのことを考え、お客さんに書こうと思ってきた人も
手紙を書く前に一言「胸に浮かんだ一番大切な人に書いてください・・」と母が言うと
相手は奥さんになる。

「一番大切な人に・・と言われたとき、心に浮かんだのは・・・」
長年ともに歩んできた奥さんの名前。

その場面に立ち会うだけでも、優しい気持に胸がいっぱいになる。

そして、書く相手は違ってもそこには、たくさんの優しさがある。
伝えられてない、素直な気持がある。



時々思う。

もしかしたら多くの人は、本当に大切な人を大切にできていないんじゃないかって。

それは一緒にいる時間の長さには関係しない。

態度や行動がもちろん本当に大切にするってことなんだろうけど、

その大切って思ってる気持をしっかり伝えること

これが、まず本当にシンプルだけど、相手を大切にできる一歩だと思う。


母がずっと言っている、「私が一生元気で生きていける元気をくれる手紙。」

父が亡くなる1ヶ月前の母の誕生に寄せて書いた10行ほどの短い手紙。


その手紙の力がやっと分かってきた。

続けることで、届く想い。

続けることで広がる繋がりの種。

いつか満開の花を咲かせる




posted by りきごん at 06:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月19日

10月18日が過ぎて。

昨日、10月18日は亡き父の69回目の誕生日。
命日は覚えているのに忙しさに忘れてしまっていた。
父さんごめん。

NCM_1663.JPG

行こうと思ってた墓参りに今日行ってきた。
神戸の街を見下ろすこの墓地は来るといつも気持が落ち着く。

曇った今日は父さんに話かけるにはちょうどいい感じだった。
でも下の子供たちを連れてきていてあまり長居ができそうにない。

父が52歳で亡くなってもう17年。
僕の子供たちは、誰も僕の父をしらない。
妹の子供たちもそう。

亡くなったときはまだ兄弟の誰も結婚してなかった。
というより学生ばかりだった。
だから孫の顔を楽しみに・・なんて考えてたかどうかは分からないけど
きっと生きていたら最高のおじいちゃんになっていたと思う。

忙しく僕ら兄弟と話せなかった分、きっと孫たちとたくさん話をして、
話を聴いてくれていたと思う。

一緒にいてくれるだけで、子供たちがまっすぐに育つ。
直接的な言葉ではなく、姿やそのささいな言葉でそんな影響を与える人だった。

そんな父を知ったのは、葬儀のとき。
1996年、出張先の広島で急逝した父。
連絡があって、当時ニュージーランドにいた僕とアメリカにいた
弟は急いで日本へ帰ってきた。

帰って向かえた葬儀は社葬だった。
1000人の人が参列していた。
実家には、葬儀に来れなかった人が翌日からに中に入らないくらい何度も並んだ。

そこにいた人を見て、その人たちから父の話を聴いて
どんな父だったのかをはじめて知った。
知らなかった父は男らしく、とても優しい人だった。
誰に対しても裏表のない人だった。

父はの名前は勝保(かつやす)。
父が亡くなってから3年後に生まれた長女は、
父から一字もらい歌保(かほ)と名付けた。

名付けたのは妻。
お父さんから一文字もらいたい。
その言葉が嬉しかった。

歌保は今14歳。
小さいころから正義感が強く、
自分から目立つわけではないけれど
誰に対しても公平で、いつも誰かを気にかけ助けている。

ずっと父に似ていると思っていた。


いろんな想いが浮かぶ。

父さんと話に、今度は一人で墓参りに行こう。








posted by りきごん at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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